製塩の復元 (宇多津)

    嘗ての製塩を復元  宇多津

讃岐三白


和三盆(砂糖)   塩(天日製塩)   綿(綿花・綿織物)

時代ととるに変化も…

  ① 東讃地方 引田を中心に古来より砂糖黍作りが盛んでした。 先ずは「白下糖」を作り、更にこれ圧縮し繰り返し研いで白くして、

       名産「和三盆」(結晶が細かい)に仕上げます。  香川県・徳島県の特産で、干菓子(京都の「落雁」に似る)のお土産品も豊富です。
    
  ② 中讃地方 屋島近辺で花崗岩のダイヤと言われる「庵治石」を産出。 高松・坂出を中心に、名石「サヌカイト」が採れます。 

       高松は、言うまでもなく「四国の玄関」です。 高松城へは、讃岐五街道のすべてが集まっています (殿様の威光が後世にも)。

          ・志度街道   ・長尾街道   ・仏生山街道(御成り街道)   ・金毘羅(琴平)街道   ・丸亀街道     

       ここ中讃では、金刀比羅宮・丸亀市(城下では団扇や扇子の生産が盛ん)・丸亀城 ・讃岐富士中津万象園なども有名です。

   ③ 西讃地方 三豊市・観音寺市の周辺で、江戸時代から「綿花」の栽培が盛んで(藩が奨励)、今では縫製技術も進み寝具類の

      生産
に拡大しています。


    瀬戸内沿岸地方 雨が少なく晴天に恵まれた「瀬戸内式気候気候帯」で、香川県でも「製塩」が盛んでした。 弥生中期には

      「土器製塩」が行われ、後の「讃岐三白」に繋がります。 「砂糖・塩・綿」は 藩の奨励もあり生産が盛んで《讃岐三白》と呼ばれ、

      県の特色を表す言葉として永く使われてきました。       《工業化や海外からの輸入で縮小》 残念 !  
 
 流下式枝条架併用製塩 
 
 
枝条架に海水をたらして濃縮する



   
       





   石琴の演奏  ネットから

  製塩の歴史から 

   ● 瀬戸内式気候の下、古くから高品質の塩づくりが行われてきた、「入り浜式の塩田(大規模)」は

     江戸後期からで、 それまでは潮の干満を利用し海水を導入する「塩浜」が永く続きました。

   ● 入り浜式塩田  昭和の中頃まで約400年間、日本独自の製塩法として発展、 続く「流下式

     枝条架併用塩田」が昭和46年(1971年)に廃止、「イオン交換膜製法」に画一化されて塩田が

     消えていきます。 専売や安い輸入品に押され日本の製塩業は下火になります。塩は必需品

     ※ 「伯方の塩」など、瀬戸内で流下式に再挑戦する企業もあるとか…、ガンバレ日本


  □ うどん県香川 美味しい饂飩づくりには良質の塩が欠かせません。

   古代の藻塩→土器製塩→(天日製塩)塩浜→入り浜式→流下式製塩の永い

   歴史
や 藩の奨励県民の努力あっての今の「うどん県」です。


    
     サヌカイト ~ 安山岩、 黒曜石 ~ 流紋岩
   
  サヌカイトは緻密な安 山岩約,500万年前に火山の溶岩が固まってできた

   
造山帯(坂出・白峯山)に多く産する。

  諏訪湖
(断層湖)周辺で 多く産出する黒曜石流紋岩質のもの。灰色

   で、ガラス光沢
がある。鋭く剥がれて割れ、鋭利な石器として多く用いられた

  
どちらも関東から九州まで延びる「大地溝帯」の活動でできたもの(副産物?)


  サヌカイ ト 「カンカン石」も 鉄器の無かった時代に刃物として使われた。

   今
では、木琴同様「石琴として素敵な音色
を奏でることで世界的にも有名。


    ~
香川には 他にも 魅力が一杯 !

   丸亀団扇   西讃えびちく   小豆島オリーブ 寒霞渓   琴平(金毘羅宮)  75番・善通寺(空海生誕地)

    結願
の寺88番・大窪寺   
宇多津
「四国水族館」  高松城・栗林公園・玉藻公園五色台  香川県庁(丹下健三)

    丸亀城・
万象園    丸亀ニュレオマワルド    坂出 ・ 瀬戸大橋記念公園       東山魁夷せとうち美術館

    イサムノグチ
庭園美術館  源平合戦の
屋島   アートサイド直島   エンジェルロード小豆島   鬼が島大洞窟

   
女木島・男木島  万濃池~溜池数日本一  
観音寺・琴弾公園(銭形砂絵) ・一夜庵   
三豊市父母ちちぶケ浜

    
高屋神社
天空の鳥居(稲住神社の奥)   荘内半島・紫雲出しうで山   浦島伝説・箱の浦  フラワーパーク浦島

    詫間町・津島神社  八十八か所霊場
~七宝山観音寺神恵じんね院・本山寺・大興寺   豊稔池堰堤  五郷ダム

                                                          
ーそれぞれ別頁に写真ー

         讃岐 城 主  
 
  高松城  (生駒親正初代・松平頼重・家康の孫・水戸光圀の兄) 

   
秀吉の家臣・生駒親正(讃岐17万石)以来4代、水戸系・松平氏が11代続く

  “
日本三大水城
「讃州讃岐は高松さまの城が見えます波の上」
 
 
Takamatu-siro          
        高松城 (玉藻公園)
  丸亀城 (生駒氏肥後の山崎氏京極高和6万播磨から)

   奈良元安が亀山に砦を築き、生駒親正が高松城の支城として築城。
   山崎氏が 「丸亀藩」を立藩
。 京極高和が1660年天主閣を創る。

       
石垣総高日本一その美しさで知られる

   支城 (多度津藩1万石・京極高道→4代の高賢築城)
 
          丸 亀 城
 
  
  
西讃香川信景 「天霧城」
  
 (弥谷寺近くの天霧山) ‐緊急時の「詰めの城」とした。
    その後
土佐の長曾我部氏に降る。 その長曾我部氏信長
     命を受けた秀吉「四国遠征」で敗れ 勢力を失う。 
  蛇足だが…   
  
四国遠征は「本能寺の変」の三日前で、明智光秀の決断は、徳島の
   「三好」
より出た三好長慶・松長久秀」との軋轢や秀吉との関係
(勢力争い)
    が絡んで
いるのではとの説も。
 
~ それにしても狭い讃岐に 数百か所も「城館跡」があるとは… 
        
 日本中では3,000を超えると言う…

 

     天 霧 城 天霧山に (城跡のみ) 













  京極さんのお庭   ― 大名庭園 「万 象 園」  丸亀市 

 

   邀月橋(ようげつきょう)

 

       国内最古と言われる観潮楼 樹齢00年の大傘松
 

    池泉回遊式大名庭園
     
  二代目藩主京極高豊候が、 ここ中津の海浜に別館として築庭。  
先祖の地の「近江八景」に模して八つの島を配したものという

   
園内には、ミレーやコローなどの名画を展示している「絵画館、うちわ作りの歴史や伝統工芸の作品を展示した「団扇の里」

  ペルシャ陶器 などを展示した
「陶器館」がある。



   独断と偏見を承知の上でいえば、 当時「専制君主」の殿様も、大いに今の世に貢献しているではないか…とネ

     全国どこでも、いや世界各地(観光地)で そう言える(文化遺産・景観遺産)ではないか…

                        ~当時の犠牲を忘れてるって … 勿論その歴史は忘れてはいけないことだが~