空海・善通寺 讃岐あれこれ | ||||
● 平安初期-774年、 讃岐国多度郡屏風浦(善通寺市)の郡司・佐伯直田公(さえきのあたいたぎみ)の三男として生まれる。 幼名・真魚(まお) ※ 昔の僧 (今も ?)は、単なる仏門の修業や仏の教えを説くだけでなく、広く専門知識を身につけ(修業・大学・留学etc.)、架橋や溜池造り、 また農業 の指導をする等、民衆とともに広く社会事業を行い信頼された。 僧行基が有名。 ● 空海も 真に人々を救う道は何かを求め、 役人への道・大学をやめて僧門に入り、厳しい山岳修業を続けます。 密教を極めるため留学僧として遣唐使船で入唐、 長安の「恵果」に師事。 20年の予定を 2年で奥義を極め 帰国する。 |
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根本大塔(多宝塔) |
空 海 絵図 |
京都・東寺の五重塔 |
佐伯 真魚(まお) 幼少時の厨 |
讃岐・本山寺 |
☜ 善通寺本堂 -空海生誕の地-
空海 京で 伯父から論語・孝経・史伝・文章などを学び、後18歳で大学に学ぶが 飽き足らず19才で仏門に入る。
室戸岬の空と海しか見えない御厨人(みくろど)の海蝕洞窟(室戸岬)で修業。 その後「空海」と名乗る。
四国や吉野で山岳修業を続け、24歳の時には、儒教・道教・仏教を比べた著書(三教指帰)を出す。
31歳で遣唐使の長期留学僧として唐に渡り(難破・漂着)、長安・青龍寺の恵果和尚に師事。
やがて、「遍照金剛」の 灌頂名を与えられる。 33歳の時、 20年の予定をわずか2年で奥義を極め帰国。 多数の経典類を持ち帰る。
当初、しばらく大宰府に泊め置かれるが、やがて都に呼び返され 平安京の東寺(823年東寺を賜る) や 高野山金剛峯寺の経営に当たる。
歴代天皇の篤い帰依のもと、真言密教を国教に定着させる。 48歳の時、命ぜられて讃岐「満濃池」(日本最大の溜池)の改修を指揮。
55歳・大僧都となり、京に私立(民衆の為の) 「綜芸種智院」 を開設。
承和2年(835年)3月 入定-享年62歳。 921年 醍醐天皇から「弘法大師」の諡号(贈り名・諱)が贈られました。
※ 高野山「奥の院・御廟」~深い信心と教義 ? “ 有りがたや、高野の山の岩陰に大師は今も在(おわ)します ”(藤原道長)ー入定信仰ー
※ 能書家としても知られ、嵯峨天皇・橘逸勢と共に「三筆」の一人でもある。
● 善通寺市には、弘法大師や智証大師誕生の地にふさわしく 四国八十八か所霊場が 第72番から第76番まで 5寺点在している。
善通寺境内には県の天然記念物指定の2本の大楠(樹齢千数百年)が聳える。
72 曼荼羅寺 73 出釈迦寺 74 甲山時 75 総本山 善通寺 76 金倉寺 の 5寺
善通寺・御影堂 |
善通寺-済世橋 |
弘法大師像(部分) 能書家・日本の三筆 |
満濃池 日本最大の溜池 |
太子像 ・ 善通寺 |
「四国八十八か所」 (四国巡礼・四国遍路)-弘法大師が山岳修業時代に遍歴した足跡を辿り修業する。全行程1,450km。
- 香川県内は「涅槃の道場」と呼ばれ 県内に23ヵ寺ある -
「同行二人」 ー 「あなうれし、行くも帰るも留まるも、我は大師と二人連れなり」-歩き遍路が減り、単車・車で回る人が増えているとか。
ー そうした中でも、地元の「御接待」に触れ、人情の厚さに感動したとか、素敵な話も多々あるというー
※ 高野山(100ケ寺以上ある) 大門 ⇒ 壇上伽藍(空海が最初に手がけたエリア) 〔金堂 ⇒ 根本大塔 ⇒
御影堂・不動堂(国宝)〕 ⇒ 金剛峰寺・六時の鐘 ⇒ 苅萱堂 ⇒ 一の橋 ⇒ 墓石群 ~ 諸大名墓石群~
(奥の院参道1.6km ・戦国大名供養塔) ⇒ 奥の院・弘法大師御廟
※ 三本葉の「三鈷の松」 ・ケヤキの古木 ・桜とシャクナゲ ・高野マキ ・杉の大木も見どころ ※ 五輪塔=(木火土金水) ⇒大日如来
ニューレオマワールド |
エンジェルロード 小豆島 |
金刀比羅宮 本宮拝殿 |
特別名勝・栗林公園 高松 |
丸亀城 天主と石垣 |
四国水族館-宇多津 |
ベネッセ・アートサイド直島 |
高松城 (玉藻公園) |
見上げる水槽にシュモクザメ |
ニューレオマワールド 丸亀にニューオープンした遊園地 遊園地 ・ 飲食 ・ 物販 ・ オリエンタルトリップ の四つのゾーンで形成されている。 |
エンジェルロード小豆島 恋人たちの聖地とか。余島(弁天島・中余島・小余島・大余島)へは一日二回の干潮時 には 砂州の道 が現れて歩いて渡ることができる。 島にはオリーブが実り、「オリーブ園」もある。 |
栗林公園 - 国の特別名勝指定 - 紫雲山を借景にした池泉回遊式の大名庭園。 6つの池、13の庭園を有する。 初代藩主・松平頼重以降、 歴代藩主が修築を重ね、松平家の下屋敷であったが、明治初期には県立公園として一般に公開された。 |
丸 亀 城 - 石垣の総高日本一 亀山(標高66m)に築かれた「平山城」で、日本一高い石垣が美しい。秀吉の家臣・生駒親正により「高松城」 (讃岐17万石)の支城として築かれ、 山崎家治、京極高和(6万石)を経て 明治を迎え今日に至る。 |
高 松 城 ー 海に浮かぶ城 ・ 三大水城の一 讃岐の国の領主・生駒家、高松藩主・松平家の居城であった高松城跡を整備し「玉藻公園」とした。 海水を堀に引き込んだ城は珍しく、日本三大水城の一つ。万葉集に讃岐の枕詞として「玉藻よし」とあり、 この辺りの海が「玉藻浦」と呼ばれていたことに由来するという。 |
アートサイト直島-ベネッセ( Art Site Naoshima ) 瀬戸内海の直島・豊島・犬島を舞台にベネッセ等が展開しているアート活動の総称。 30年の歴史がある。 地中美術館 家プロジェクト 直島銭湯「I♥湯」(アイラブユ) ANDO MUSEUM など多数。 |
四国水族館 瀬戸大橋のたもとー宇多津臨海公園内 次世代型水族館としてAI 解説も取り入れた 生き生きとした展示が魅力。 日本屈指の水景展示。 黒潮に乗って回遊するイメージの巨大水槽。 瀬戸内の海と一体化するかのようなイルカショウのプール。 ちょっと変わった「竜宮伝説」や「渦潮」の景。 シュモクザメも迎えてくれる。 |
興味を持たれた方 もっと深く知りたい方 感動体験を望まれる方 ドーゾ 現地へ !
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讃岐礼賛